戦国武将・大名の人気ランキング!最も愛される戦国時代の武将は?
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ランキング結果
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1位
上杉謙信
(1,614人が評価)- 生没年
- 1530年~1578年
上杉謙信へのコメント
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敵への思いやり
「敵に塩を贈る」という言葉の由来にもなった、ライバルである武田信玄の軍が塩が尽きてしまい困っているときに、自分の塩を武田軍に贈ったというエピソードが有名です。敵とはいえど、その窮地には手を差し出すという精神がとても尊敬できる人物だと思います。ゆたかさんさん
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天才系戦国武将
戦が圧倒的に強い。そして知恵を絞って戦うのではなく、相手の打つ手を瞬時に見抜いて裏手を取るという天才肌の武将というのがカッコイイですね。私的に印象に残ってるのは、山本勘助が上杉謙信について武田信玄に語った場面です。1~10までの数字を全部足すといくつになるか?という質問に対し、武田信玄はすばやく計算して答えました。でも上杉謙信は即答だったんですよね。ほとんど計算もしていない。何故即答出来たのか?気になる方は上杉謙信について調べてみてくださいね。こーじーさん
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戦国武将で最も強い武将
上杉謙信は僕にとっては戦国武将で最も強い武将で、織田信長を破り、武田信玄とは第1次川中島の合戦で勝利している。上杉憲政からは関東管領の職を譲ってもらっていることから幕府からの信用性も高く、それから自らの私利私欲にとらわれず、助けを求められたときのみ戦った。やはり上杉謙信は戦国武将の中で最も強い武将と言えるだろう。上杉謙信大好きさん
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2位
伊達政宗
(1,317人が評価)- 生没年
- 1567年~1636年
伊達政宗へのコメント
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片目を無くすも必死に生きた
伊達政宗は片目を失っても相馬氏や佐竹氏と戦い武功をあげてるのが凄いと思いました。師匠の虎哉宗乙から独眼竜の異名を持たされ虎哉宗乙も凄いと思いました。そして料理が上手く発酵系の食べ物ばかり作ってたと言う説もありました。政宗の最後は片方の方に目を入れてもらい両目が開眼したと言われました。伊達信者さん
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よっ!独眼竜!
独眼竜政宗、さすがですね。 私的に、「え、片目なくてもワンチャン生活できんじゃね?」とかおもってしまいます。ですが、自分で片目を抑えて過ごしてみると、うーん。やりずらいですね そんな片目なしで戦に出る。それに最強の武将。うぁぁぁぁぁ!まじすげぇ!! 唯一思うのは、伊達家滅亡していないという奇跡です。 調べてみたら、なんと子孫もいらっしゃって、現在伊達家のために活動をしてらっしゃるのだとか. えっ?すごすぎでしょ。 はい。推してしまいますね。やばいですね。 はい。以上。戦国時代オタクさん
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野心家独眼竜!!
戦国武将の中で遅い生まれではあるが、奥州の地を一大都市まで築き上げた独眼竜!!秀吉、家康が天下をとった後も自身の野心を忘れず、最後まで天下を狙い続けたところが最高!!片倉小十郎や伊達成実などの有力家臣に恵まれたことも政宗様の御才能と言えるだろう!まことさん
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3位
真田幸村(真田信繁)
(1,300人が評価)- 生没年
- 1567年~1615年
真田幸村(真田信繁)へのコメント
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日本一の兵
日本一の兵といわれる真田幸村(信繁)。彼はものすごい戦上手だったと思います。父である真田昌幸の子供なので納得いくと思います。大阪の陣で徳川家康の陣の付近までいき徳川家康にもう一歩というところで終わってしまったので少し悔しかったと思います。しかし、真田家は幸村の兄、真田信之のおかげで残ったので安心もあるといいなと思っております。いいねしてねさん
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家康を追い詰めた武将
関ケ原の戦いで敗れた側の武将ですが、幽閉された場所から抜け出して、西軍につきます。烏合の衆である西軍をまとめ上げた技量は抜きんでており、真田丸という砦を築いて徳川方を大いに苦しめました。そして、真田十勇士という架空の勇者まで生みだしました。sarurururu78さん
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真田の赤備え
大坂冬の陣の「真田丸」での活躍はやはり印象的ですね!例えば、松平忠直、前田利常、井伊直孝など一斉に真田丸に攻め込みましたが苦戦し、家康にブチ切れられるほどの活躍でしたね。(まあ、その家康も幸村が大阪城に入城したというだけでぶるぶる震えまくって、三方ヶ原の戦いでは武田信玄に蹴散らせれてうんこを漏らしているほどですからね…)また、死を覚悟しての大坂夏の陣は魅力ありますね。息子の大助が斬られたのは大いに残念ですが、真田幸村のキーホルダーに甲冑、大事に扱ってまーーーーースおだのぶにゃがさん
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4位
武田信玄
(1,196人が評価)- 生没年
- 1521年~1573年
武田信玄へのコメント
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甲斐の虎
信玄堤・甲州金などなど国作りもすごく戦にも強いまさに最強で「甲斐の虎」にふさわしい!! いろいろな有名な逸話も多々あり上杉謙信ともライバルとして互いを認めあってたとかやっぱり心根も優しいんだろうな~ ただ一つ残念なとこは長男であり将来有望だった武田義信を殺してしまったことかな~ もしかしたらあの時から武田の滅亡は始まっていたのかも・・・ 武田信玄といえばあの超有名な武田騎馬隊だよね でも当時の馬はポニーのような小柄な馬だった説もあって武田騎馬隊は存在しなかったかもしれないんだって・・・ いや~歴史って奥が深いね。 武田信玄ってすごい有名だけどその中でも川中島の戦いだよね。 あの「越後の龍」と呼ばれていた上杉謙信と一騎打ちをしたっていういや~まじかっけぇ~ あの戦国の革命児と呼ばれた信長が最も恐れた武将が武田信玄なんだって しかも天下統一した徳川家康も罠にはまってボコボコにされたしねw 武田信玄勇ましい・・・ これらの理由から武田信玄に太鼓判押すよ!! (最も強い武将のランキングと全く同じ)祖先武田家家臣だった人さん
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かっけぇ武田様
武田信玄様は、ガタイも良くてほんとに好きです。 こないだ、武田様が所有していた?お寺「恵林寺」にいきました。とても武田感が溢れてて、かっこよかったです。 武田さんはやはり無敵な武将だと思うし、 名言「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、あだは敵なり」またかっこいい~ 軍師の山本勘助をえらぶセンスもよくて… ですが、上杉謙信と同盟を結べばもっと良かったなぁと思っています。戦国時代オタクさん
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風林火山
戦国最強と言っても過言ではないほど強かった。まさに鉄壁そして騎馬No. 1との呼び声高し。そして、自国の民を大事にする人好きであった。もし、寿命の問題がなければ彼が天下統一を果たしていたはず。りゅうちゃんさん
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5位
織田信長
(1,894人が評価)- 生没年
- 1534年~1582年
織田信長へのコメント
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天下統一漢
まさに鬼!自分にも他人にもまさに鬼であった。鬼神とは織田信長の為にある言葉だったのではないかと思う。今で言うガジェット好きの信長は鉄砲やら南蛮人の物をよく取り入れた。ただこの時代に世界を視野に入れる眼は物凄い才能であり後の武将の指針となったであろう。りゅうちゃんさん
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第六天魔王
やはりこの人を抜いて戦国時代は語れないと思います。ゲームなら信長の野望、今なら漫画の信長のシェフなんかもドラマ化されましたし、未だに信長人気衰えずと言った感じでしょうか。信長と言えばやはり第六天魔王と言われるほど、歯向かうものには容赦なかったお話でしょうか。特に比叡山焼き討ちや長島一向一揆での大虐殺など、枚挙にいとまがありません。ただこういう恐ろしいことだけではなく、楽市楽座やキリスト教の普及を認めたり先進的な事もしているのが、信長の2面性という点で自分が好きなところです。りんさん
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戦国時代の代名詞!圧倒的存在感
私が一番最初に知った戦国武将が織田信長です。ミーハーな理由で申し訳ないのですが、ドラマや映画で織田信長を演じる俳優さんは、ほとんどイケメンが演じていらっしゃいます。 もちろん日本国民であれば、おおよそ誰もが知っている武将ですし、行った政策はともかく、やっぱり単純にカッコイイイメージなので1位です。緑さん
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6位
毛利元就
(748人が評価)- 生没年
- 1497年~1571年
毛利元就へのコメント
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よくここまでのし上がった
中国地方の大名で最も有名なのは毛利家だと思います。でも最初はそんな大大名ではなく、小大名ともいえないような地方豪族でした。周囲の大大名達の板挟みにありながら、よくここまでのし上がれたと思います。信長が桶狭間の戦いをしていた頃、すでに中国地方をほぼ統一していたんですから。毛利元就恐るべし。こーじーさん
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とにかくすごい
最初はあまり領地を持っていなかってけど、だんだんと力をつけていって、中国地方の覇者と呼ばれたのが凄い!見事な下剋上だと思います!彼こそが謀神の名にふさわしいのではないのでしょうか。三本の矢の逸話は創作とも言われているけど、いつまでも残っていて欲しいみくさん
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元就公も凄いが、毛利輝元さんと小早川隆景さんのファンです。
元就公の謀略についてはこの先歴史家の研究で色褪せるかもしれませんが、落ち着きがありのっぴきならない人だったのは確かでしょう。 小早川隆景さんと毛利輝元さんの方が好きですけど。後は長州藩のファンです。桂小五郎さんと高杉晋作さんのファンです。rainy rainさん
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7位
本多忠勝
(729人が評価)- 生没年
- 1548年~1610年
本多忠勝へのコメント
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徳川四天王の1人、伝説の男だから
徳川家に仕えた家臣で、伝説になるくらい強かったから。特に有名なのがトンボ斬り。槍に当たったトンボが真っ二つに切れるなんて、最初聞いた時はどういう事?と目がテンになりました。織田信長や豊田秀吉からも一目置かれていたという強さがかっこいいです。あんこさん
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家康に過ぎたるもの二つあり…
三方ヶ原では3000人で2万7000人の武田軍を足止めして家康のピンチを救い、姉川では朝倉軍1万に1騎で突撃し、関ヶ原では愛馬を撃たれても、90人も討ち取ったその武勇。57回の合戦で、手傷一つ負わなかったその運。長久手で豊臣本軍8万の前にわずか500人の軍で立ちはだかり、馬に水を飲ませるという図太い性格。まさに、戦の神!毘沙門天の子さん
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最強の男
57度戦場に出て手傷を負わなかったから最強の男だと思います。 男らしく徳川家康を守り抜いた戦国時代最強で男らしい人だと思います。ナタさん
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8位
島津義弘
(573人が評価)- 生没年
- 1535年~1619年
島津義弘へのコメント
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数々のミラクルを起こし鬼島津と恐れられた武将
教科書には載っていませんが、戦国時代を知る上に置いて是非とも知っておきたい人物です。 島津義弘のすごいところはその戦績にあります。 木崎柄の戦いでは3000の軍勢を相手に、わずか300の軍勢で勝利したため、この戦いは「九州の桶狭間」と呼ばれます。さらに朝鮮出兵では20万と言われる朝鮮の軍勢に対し、7000の兵で勝利。豊臣秀吉を驚かしただけではなく、徳川家康にも「前代未聞のこと」たたえられました。 また関ヶ原の戦いでの島津の退き口は本当に圧巻です。東軍を支援するつもりでしたが、ひょんなことから西軍に参加することになった島津義弘は、本国から援軍を受けることができず、わずかの軍勢で関ヶ原の戦いに臨むこととなってしまいます。関ヶ原の戦いの敗戦が濃厚になると敵陣を中央突破するという凄まじいやり方で戦線を離脱します。この島津の退き口はしびれるものがあります。 また島津義弘の魅力はその人柄にもあると言われています。自らの家臣に男の子が生まれると必ずその赤ん坊を抱っこして家臣を労ったと言われています。島津義弘は生前、「自分が死んでも殉死してはならない」と言いましたが、結局島津義弘が亡くなった後、家臣は13人も殉死してしまったのです。それほど家臣に慕われていたとも言えるかもしれません。 とにかく85歳まで生きたのでエピソードには事欠かない非常に魅力的な武将です。金谷 俊一郎さん
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関ケ原以外もまじですごい!
関ケ原での敵中突破はもちろんすごすぎるけど、 九州での活躍もすごい!耳川の戦いや木崎柄の戦いももっと有名になってほしい ただこれらはすべて兄義久や弟たち、家臣など島津家全体がすごいからです もし島津家全体が上方に生まれてたら織田といい勝負できただろうに…おきゃやまさん
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九州で1番
戦いが強くカッコいいところが好きです。鬼島津と言われたぐらい戦に強い戦国武将で、何回も何回も大きな戦果を上げていますし、ジャイアントキリングも何回もしています。豊臣が攻め込んでこなければ島津が九州を制圧していたと思うぐらいには強い大名です。なかても好きなところは義弘は戦果をものすごく上げて地位も高かったのですが、それで偉ぶることもなく、兵士たちと一緒に行動したり腰が低い大名だったというところが好きです。ナハマジャさん
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9位
真田昌幸
(707人が評価)- 生没年
- 1547年~1611年
真田昌幸へのコメント
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日本一の兵の父
日本一の兵といわれる真田幸村(信繁)の父。この人はとにかく頭がよく戦略を考えるのがうまいです。徳川家に真田幸村と共に恐れられ、すごい影響力があったと思います。関ヶ原の戦いでは東軍に兄 真田信之、西軍に弟 真田幸村、父である真田昌幸と東軍西軍に分け、真田家存続を考えた良い案だと思いました。この文章を読んでわかるように僕は真田家が大好きです。いいねしてねさん
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農民でも真田昌幸が率いると精鋭になる と信長に言わしめた実力が凄い
織田信長が武田との闘いで、もっともこの真田昌幸。一向一揆の鎮圧の際は真田昌幸がいた為、なかなか制圧出来なかったとまで言われています。また徳川幕府を開いた徳川家相手に二度戦って二度とも勝つという偉業を成し遂げました。もちろん兵力差は相当ある状況で。表裏比興というだけなく、その実力の高さが大好きです。こーじーさん
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戦の天才!
天下分け目の戦いは小早川の裏切りによるものと見られているが、結果論であり実際は拮抗していた。その理由が、家康の本隊の到着が予定より大幅に遅れたことだった。遅れた理由は真田氏との衝突だった。軍事力では圧倒的に劣っていた真田氏が本隊を苦しめていた。うさぎさん
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10位
大谷吉継
(812人が評価)- 生没年
- 1559年~1600年
大谷吉継へのコメント
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戦国きっての人格者
彼のエピソードはその人格者ぶりを示すものが多いです。人柄が穏やかであるというような表面だけのものではなく、親友でもある石田三成に対して「お前は人望がない」という、指摘しにくい点をしっかり指摘したというような相手を本当に思いやった行動が目立ちます。関ヶ原の戦いで豊臣家についたのも、親友である三成と運命をともにすることを選んだのが大きな理由であったといいます。戦国の世で自分の名を馳せようとするのではなく、友のためにその命を預ける人柄にとても惹かれます。ゆたかさんさん
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友達思いの優しい武将
大谷吉継はハンセン病だったので顔を隠して生きていました。なので友達もいなかったようですが、石田三成の優しさに惹かれてついて行くことになりました。大谷吉継の素敵なところは、石田三成が負け戦をする時に、結果が分かっているのに加勢したところです。友達のために死を選んだ彼が素敵でした。ゆらさん
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義を尽くした武将
大谷吉継は、関ヶ原の戦いにて、味方の裏切りによって苦境に立たされた西軍において、最後まで何とか抗おうとした武将です。それは、西軍の実質的なリーダーである、石田三成への、義の気持ちによるものでした。その気持ちは、現代においてもきっと必要とされるもので、見習わなければならない存在だと思います。パピコさん
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11位
北条氏康
(400人が評価)- 生没年
- 1515年~1571年
北条氏康へのコメント
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相模の獅子
非常に強すぎる。上杉謙信との戦いの小田原城の戦いで謙信を敗走させるのも強いし、1569年の武田信玄との戦いの三増峠の戦いは、病気にかかってるにもかかわらず、子供の氏政や、氏照などに指示したりするのがすごい。結局は負けたが、武田信玄軍を撤退させただけはある。キャリー武士さん
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文武両道、まさに相模の虎
軍事面で才能を発揮しただけでなく、挽回不可能とも思われるような危機的な状況においても智謀を駆使して難局を乗り越えることのできた点は素晴らしい。惜しむらくは北条綱成以外にも飛び抜けて優秀な武将(劉邦にとっての韓信等)が配下にいれば武田や上杉に対しても反転攻勢に出れるほどの地力と才能はあったと言える。氏康の魅力を持ってすれば韓信や項羽クラスの曲者ですら丸めこめそうなくらいバランスの取れた、欠点のない人格を持っているように思える。氏康しか勝たんさん
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戦国随一の策略家 兼 政治力
河越夜戦で8万(実際は2~5万とも)の両上杉、古河公方連合軍を10分の1の8000の軍で 大勝利し後北条氏の勢力を一気に拡大させ、両上杉を滅ぼした。すごすぎる! また、政治力も兼ね備えていて早雲の四公六民制度を受け継ぎ、飢饉のときは家督を4代氏政に譲り隠居。その後、徳政令を出し一揆を防いだりした。政治力だけなら戦国時代1とも言えるし、かと言って戦いの才能もえげつない。 まさに戦国一のオールラウンダーてき武将。相模の獅子さん
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12位
黒田官兵衛(黒田孝高)
(528人が評価)- 生没年
- 1546年~1604年
黒田官兵衛(黒田孝高)へのコメント
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才能あふれる家臣
豊臣秀吉を支えた名家臣として有名な武将です。大河ドラマでも取り上げられた調略が得意な知略型の武将で、家臣の割には名前が大きく残っています。秀吉からもう少し大きな領地をもらっていれば、家康と一戦交えることもできたかもと思うと、楽しくなります。sarurururu78さん
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地元出身の人物だから
同じ県の出身人物だから。大河ドラマにもなりましたが、とても頭の良い策士っぷりがかっこいいと思います。結局頭の良さから恐れられ疎まれ九州に追いやらてしまったのは残念でしたが、それだけ聡明だったのだと思いますね。すごい人が同じ県で嬉しくて選びました。あんこさん
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人としても素晴らしき生き様
軍師としてはもちろんのことですが、人としての生き方もとても格好良いです。合理的なところもありながら、感情面にも熱いところがあり、どの面からみても尊敬そのものです!戦国の時代に生まれながらも、いかにして人を死なせずに勝利を得るか。普通なら考えにも及ばないでしょう。温泉旅行大好き人間さん
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13位
竹中重治(竹中半兵衛)
(549人が評価)- 生没年
- 1544年~1579年
竹中重治(竹中半兵衛)へのコメント
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我慢もしてる秀吉の前半世を支えた軍師
秀吉を大名へと導いた天才軍師だから90点にしました 優しく、穏やかで、少し女性っぽく、頭が良いところがおすすめです。 半兵衛は最初はイジメられていて、その時に城からオシッコをかけられたと言われています 普通だったら怒るはずなのに 半兵衛は怒らずそのまま通り過ぎたそうです。 そういう忍耐の所も魅力の1つだと思いますゲストちゃんさん
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秀吉の軍師
竹中半兵衛ってめちゃくちゃすごい軍師 世の中の軍師で一番すごい 官兵衛と共に『両兵衛』と呼ばれた だけど35で亡くなったのが残念・・・・・・・・ あと、官兵衛は『軍師官兵衛』で主人公になってるのに、半兵衛はなってない・・・・・・・・それも残念だな。戦国時代超大好きさん
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知将半兵衛
黒田官兵衛が出てくる前の秀吉の忠実な頭の良い家臣です。残念なのは、比較的若くして亡くなっていることで、本来、半兵衛がやるべきことを官兵衛にやられてしまったことです。sarurururu78さん
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14位
井伊直政
(282人が評価)- 生没年
- 1561年~1602年
井伊直政へのコメント
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井伊の赤鬼! でもちょっと無茶し過ぎ
井伊直政は、勇猛果敢で関ケ原の戦いの先陣を務めたし、色々な戦いで活躍している。けど関ケ原の戦いの最後、島津義弘の軍が、敵中突破するときに、家康は、追撃しなくていいと言っていったのに追撃して、怪我してしまった。追撃しなければ、怪我はしなかったのに。戦国武将大好きさん
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山県から引き継いだ赤備え
家康に「赤備えを引き継げ」て言われたというのも一つの理由だと思うが、合戦では常に先頭を駆けて戦って、全身傷だらけみたいなまさしく「赤鬼」のような武将。外部交渉も上手。毘沙門天の子さん
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井伊の赤鬼
まず、徳川殿にここまで尽くされたその忠義、尊敬いたしまする。その徳川四天王になれるほどの忠義があったから武田の強い赤備えを身に纏うことができたと某は思いまする。さらに、自分に厳しいという。 まさに戦国武将真田信繁さん
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15位
立花宗茂
(453人が評価)- 生没年
- 1567年~1643年
立花宗茂へのコメント
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同数で戦って勝てる武将はいない
戦略や戦術だけで戦うなら、まず負けることはない。個人の武力も半端ない。 全体の指揮ではなく部隊長としては無双である。計略を見破る能力も高く、罠にかかることもないので真田昌幸や上杉謙信ですら3000対3000で戦ったら勝てないであろう。 島津、毛利、秀吉、家康、清正皆認める武将。先鋒に置いたら無双。10倍くらいの敵を普通に屠る能力がある。さっちゃんさん
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まさに西国無双
父・高橋紹運が倒された時、見事な作戦で岩屋城、宝満城などを島津から奪還したり、朝鮮出兵では5万の敵を数千で撃退して味方を救ったり、まさに西国無双といえる目覚ましい活躍を見せた猛将。 関ヶ原で西軍についた武将の中でただ一人大名に復帰したことから、人望もあったんでしょうね! 調べたら、「東国無双」と呼ばれた本多忠勝と遠い親戚だったんですね。毘沙門天の子さん
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人柄がええ
元々父だった高橋紹運を倒した島津を関ヶ原の戦いの時に同じ西軍で戦い負けそうになるが少ない家臣で島津を守りながら領国に帰り島津にとても感謝されたという。後猛将ぶりでも知られており東の(本多)忠勝、西の宗茂と秀吉に言われたとも歴史マニアさん
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16位
豊臣秀吉
(948人が評価)- 生没年
- 1537年~1598年
豊臣秀吉へのコメント
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素晴らしい才能
織田家重臣にまで昇りつめた才能と努力が素晴らしいことと、人たらしと呼ばれたほどの人気と人望があったことが大きな理由です。子孫に恵まれずに天下を譲ることになりますが、城を落とす際の水攻めや中国大返し、一夜城など秀吉ならではの知略が優れたところは傑出した戦国大名と言えます。sarurururu78さん
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下克上
まさに織田に仕え才能を開花させた下克上。歴史を変えた人物といえよう。一族経営の会社なのに平社員が社長になったようなものであり、現代においても非常に難しいと言える、それをやり遂げた秀吉、悪い意味で言えば八方美人であり長いものに巻かれながら野望を大きくしていった苦労人兼達人だと思う。りゅうちゃんさん
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太閤さん
大阪では太閤さんと言って親しまれている秀吉ですが、やはり貧乏人から苦労して成り上がったというのが大阪人には浪花節を感じるのかもしれません。自分の好きな秀吉のエピソードは、信長のわらじを懐で温めてそれを信長に履かせたお話でしょうか。どれだけ信長を敬愛していたのかと、なんとも泣かせる話だと思います。りんさん
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17位
直江兼続
(121人が評価)- 生没年
- 1560年~1619年
直江兼続へのコメント
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愛!愛!愛!
私は一途な男性が大好き!誠実さと義がある、真の強い男!色香に溺れ側室だらけのドスケべと違って、側室は一切置かず、妻一筋!くう痺れる!大好き!私も、あの時代に、兼続と出会い結婚してたら、上手くいってたから!浮気不倫する下半身馬鹿がとにかく多すぎるねん!今の時代も。直江兼続様見習えや!兼続の嫁さん
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愛の兜
愛の兜は有名です。みーみちゃんさん
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愛の兜が好きです
愛の兜が好きです。百瀬 崇裕さん
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18位
長宗我部元親
(277人が評価)- 生没年
- 1539年~1599年
長宗我部元親へのコメント
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姫若子から鬼若子へ、鳥なき島の蝙蝠は案外凄い。
鳥なき島の蝙蝠と揶揄されているが1万石にも満たない最弱国人が100万石近い領土を有したのは伊達じゃない。 実は鉄砲貿易に力を入れていた。Tindersexさん
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信親が生きていれば
戸次川の戦いで信親が生きて帰ってきて いれば、元親も覇気がなくなることもなく、有能な家臣団も存続する。 関ヶ原も徳川側についたか?黒田勘兵衛らと第3の勢力か?天下統一に待ったを かけたと思う。まっちゃんさん
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四国統一へ
最初の勢力はものすごく小さい! ながらも四国統一へあと一歩というところで秀吉の邪魔され、可哀そう。 おのれ秀吉~~~~~~~~~~滑子ノ介さん
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19位
山県昌景
(143人が評価)- 生没年
- 1529年~1575年
山県昌景へのコメント
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武田軍最強部隊 赤備え
三方ヶ原で家康をあと一歩まで追い詰めるなど武勇が桁外れている! 長篠の戦い、武田勝頼に撤退を進言したが受け入れられず、死を覚悟して鉄砲隊に突撃したあの死に様は見事だった。毘沙門天の子さん
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ここに来て?
山形は最初の赤備えだよ!(当たり前)長篠も最後まで頑張ったよ長篠だったら武田滅亡無かったなABCEさん
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三国志で言う馬超並みにすごい人
連戦連勝の鬼でとても強い。一騎打ちしたら、右に出る者はいない。やばい武将。戦国武将大好きさん
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20位
蒲生氏郷
(110人が評価)- 生没年
- 1556年~1595年
蒲生氏郷へのコメント
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すごい
氏郷は織田信長の娘婿で会津90万石を手に入れたから。サーサさん
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氏郷
家臣思いなところが良いよね!(規則には厳しかったけれど。)92万石の大大名。滋賀県の誇りです。康田療成さん
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信長の次女の夫
織田信長の次女・冬姫の夫。 これしか知らない。戦国時代超大好きさん